食の最先端を走るフランス・パリ。パティシエであれば、誰もが憧れる地。近年日本人シェフの活躍も目覚ましく、洋菓子世界大会「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」では2大会連続で日本が優勝したのも記憶に新しい。
数多くの日本人が世界で活躍する中で、また新たなトピックが。フランス・パリでまた一人の日本人が開業したと聞き、オープンしたばかりのお店を訪れることになった。そのパティシエの名前は高塚俊也さん。2025年にパリの15区に「Pâtisserie TOSHIYA TAKATSUKA」を開業した。
今回、実際にお店に足を運び、高塚シェフから意気込みはもちろん、高塚シェフが考える美味しさの魅力を存分にお届けしていきたい。
お店はパリ15区、メトロ6番線「Dupleix」駅から徒歩2分の場所に。商店街の賑やかな通りから一歩奥に入ると、緑が生い茂った閑静な通りに。心地よいお店までの道のりを進むと、エレガントでモダンなお店が目に入る。到着するやいなや高塚シェフが温かく迎え入れてくれた。
高塚シェフは2009年に渡仏し、2013年からは当時ミシュランガイド一つ星店だった『レストランKEI』のシェフパティシエとなり、2017年の二つ星、2020年の三つ星への昇格を支えてきた。2019年には、ミシュランがセレクトするベストパティシエ30名の一人にも唯一のアジア人として選ばれ、日本だけではなく世界で注目される。
店内に入ると、テーブル席が広々としており、ショーケースには焼き菓子やプチガトーが並ぶ。
焼きたてのフィナンシェには、高塚シェフが出会った‟天才的”と呼べる南仏プロヴァンスの養蜂家のこだわりのはちみつが絞られている。レストランデザートで腕を振るった高塚シェフらしく素材にフォーカスし、フィナンシェへのはちみつソースの絞り方一つでもこだわりが発揮されている。
リンゴのジュースや炭酸ドリンクも、すべてノルマンディーで出会った最高の農家さんのものだという。
昨今フランスを賑わせているフランもあった。もともとお店ではフランをやるつもりなかったものの、毎日買いに来てくれる常連さんに「是非作って欲しい!」と言われたことから始めたそうだ。上品なバニラの風味と卵のコクが素晴らしく、口の中で香りの余韻が広がる。
高塚シェフにお店のスペシャリテを伺うと、ダックワーズを紹介してくれた。高塚シェフが奥様に最初に作った思い出のお菓子だ。日本のパティスリーで見ることが多い小判型の焼き菓子“ダックワーズ”は実は、フランスではなく日本で生まれたお菓子。フランスで考案されたダックワーズという名の生地を元に小判型でクリームを挟む独自の進化を遂げた。今ではお馴染みとなったお菓子をフランスで表現したいと思いスペシャリテとして開発したという。
色々な食材・香りを入れて、食感や味わいを自由に変えることができ季節感を演出するのにぴったりだという。
「この繊細で作るのが難しいところが面白くて、作り甲斐があります。」そう話す高塚シェフ。実際にいただくと表面はサクッと、中は弾力がありながらもふわっと。濃厚なピスターシュのクリームとフランボワーズのジュレの酸味、甘みと香りの濃淡も面白い。ギフトボックスもあり、パリのお土産としても人気がでそうだ。
高塚シェフがこのお店で表現するお菓子は、どれも美しいクリエイションであるが、その本質は「レストランデザート」と「フランス菓子へのリスペクト」にあると感じた。
例えばこのフロマージュというケーキ。ちょっと甘みを抑えて、レストラン出てくるフロマージュ(チーズ)をイメージしたそうだ。取材時の季節はスリーズのソースを合わせて、季節によって秋はイチジクなど、バリエーションを出し、まるで季節の皿盛デザートのようだ。
その他のプチガトーも食感にこだわったものやレストランらしいハーブの香りをまとわせたものなど、シェフの経験が存分に発揮されている。その上で、ベースにはフランス菓子へのリスペクトを忘れていない。ダックワーズ生地や素朴なタルト、そしてフランもそうだ。フランス菓子から逸脱せず、その基本と美味しさを大事にするシェフのこだわりを感じることができた。
ここで、高塚シェフはどんな経歴を持つのだろうか? これまでのパティシエとしての歩みを取材させていただいた。
Q.パリにお店を出すとは、昔のご自身では想像できたものでしょうか?
高塚シェフ「全く想像していませんでした。目の前の仕事を一生懸命こなしていたらパリに店を出す道が開けたという感じです。」
Q.お菓子の世界へ行くことについて、両親やまわりの説得はありましたか?
高塚シェフ「両親からは食の世界は下積みも長いし狭き門なので厳しいよと言われました。しかしただ反対されるのではなく、やりたいなら応援するよと言われ、そっと背中を押してくれたのを覚えています。
初めに『パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ』の藤生シェフのお店に入社しました。当時、どこで働くか探していてお菓子屋をずっと巡っていたんです。学校のすすめもあり、藤生シェフのお店を訪れた時、店内には焼き菓子があって、ショコラがあって、その圧巻のお店に魅了されたのを今でも覚えています。」
Q.日本で『パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ』で働いたあと、早いタイミングで渡仏されていますがそのきっかけや理由、エピソードがあれば教えてください。
高塚シェフ「『パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ』でひと通りお菓子を習いました。焼き菓子も生菓子も、ショコラの基本の部分も。そこから修業にいくというのがこのお店のスタイル。南仏にいた先輩がやめて空きが出たパティスリーに行きました。
フランスでは文化の違いに驚くこともありました。僕たちが日本で学んだクラシックなお菓子はあまりありませんでした。あちこちに探しに行ったのを覚えています。
まずぶつかったのが滞在許可証の壁でした。最初に勤めた店がつぶれて、外にポンと放り出されてしまい、途方に暮れてしまいました。必要とされるようにならなければならない、ここにいる人の倍以上努力しないといけないと強く感じた瞬間でした。」
その後、パリのレストラン『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』、『ホテル・ランカスター』に勤務。2013年からは『レストランKEI』のシェフパティシエを務めるなど、パティスリーではなくレストランの世界に入る。
Q.今までと違う世界で戸惑いがあったこと、大変だったことを教えてください。
高塚シェフ「その時は、とにかくレストランのリズムになれることが一番大変でしたね。とにかく早い。例えるならパティシエの仕事は長距離ランナーで、早すぎてもいけないし、淡々と一定のリズムで仕事をする。対してレストランは短距離ランナー。瞬間で爆発的に動いて、頭をフル回転させてクリエイトするのが大事でした。
シェフ・キュイジニエ(料理長)がどう考えているか、そこにどう合わせるか。コース料理の中でどういう食感でどういうものが出てくるか、そこをどう組み取って表現するか。イメージだけを伝えられ、それらを拾って組み立てていく作業が多かったです。その経験が今のお菓子作りにも生きていると思います。特に素材と温度管理を大事にすることを学びました。
Q.開業について。この場所に店を出した理由を教えてください。
高塚シェフ「世界的なモニュメントであるエッフェル塔が近いことと、道を挟んで向こう側に商店街があり、そこから一歩入って静かなこの住宅地がまさにパリの生活がいきづいていて、魅力的でした。敷居が高いようなお店よりも地元のお客様に愛されるお店にしたいです。
オープンから今に至るまで、あまり宣伝もできず。逆にそれが良くて、地元の人が多く来てくれています。『ここに明るい素敵なお店を作ってくれてありがとう』と地元の方々に言ってもらえた時は、凄く嬉しかったです。」
取材中も次々に地元のお客様が訪れ、すでに席は満席に。朝一番で買いに来たおじいちゃんと高塚シェフの後ろ姿も印象的でした。日本人のパティシエがこうやって異国の地で多くの人の衣食住において大切な役割を果たす姿は、お店を開業する人としてのいいモデルになるかもしれない。海外で働きたいと考えるパティシエにとっても凄く勇気づけられるのではないでしょうか?
今後は日本でのイベントや催事も参加していきたいという、高塚シェフ。日本の食材をフランスに持ち帰って、素材の良さを発信することも考えているそうだ。
パリに来たら、ぜひ高塚シェフのお店に一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
About Shop
Pâtisserie TOSHIYA TAKATSUKA
16 Rue George Bernard Shaw, 75015 Paris, フランス
営業時間:公式インスタグラムがご確認ください
定休日:公式インスタグラムがご確認ください
Photo&Writing/坂井勇太朗
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