パティシエたちによるリレー式連載「パティシエとして、生きるには」。パティシエたちによる、お菓子への想いとその歩みをドキュメンタリータッチでお届けするこの連載も5回目となります。前回は、鎌倉の「Regalez Vous(レガレヴ)」、フランスから帰国したばかりの佐藤亮太郎シェフの激動の20年間をお届けしてきました。そんな佐藤亮太郎シェフが次に指名したのは加藤峰子シェフ。
「ミシュランガイド東京2022」において、2年連続の一つ星を獲得したニュースでも最近耳にすることも多い、資生堂が経営・資生堂パーラーが運営するイノベーティブイタリアンレストラン「FARO(ファロ)」でシェフパティシエをつとめる加藤峰子さん。彼女が歩んできたヒストリーと、一つのお皿に描く、あふれんばかりの壮大な想いとイマジネーションの源をお届けしていきます。
Q.まず初めに、弱冠16歳にして「イタリア」へ行かれた理由と、そこで感じた食文化や価値観の日本との違いを教えてください。
加藤シェフ「イタリアは、両親の仕事の都合です。幼少期から西洋の物や食材、そして文化に触れる機会が多かったです。そんな中でもイタリアという国には大きな魅力があって、それは“人間力”だと思っています。
人間力のある人の集まりで、人生を賢く生きている人達。“賢い”ということは、本を読んだり、日本の受験勉強ではないけれど、知識をつけて賢くなる、ということではなく、
“人生をきままに楽しむ生き方ができる”
そういうことだと思っています。それは一つの固定概念にとらわれないし、その場で人生を楽しみながら生きる、そんなイタリア人に囲まれて育ったので、私自身の持つ感性、そして自分の決断に大きな影響を与えてくれるものでした。
のびのびと生きるというか、あえてゴールを決めないで、自分にあったやり方を見つけて生き抜くイタリア人の気質とアティテュードは素晴らしいなと思いました。」
Q.イタリアで大学を卒業後、食の世界ではなく「VOGUE ITALIA」で編集者という職を選ばれた理由を教えてください。
加藤シェフ「特にないんです。今となっては固定概念だと思いますが大学を卒業すると、大きな企業に就職したほうがいいという考えがありました。当時は、今の食の世界で働いている自分自身の姿は想像できませんでしたし、大学を卒業して、一流の企業に就職して、ある程度の年齢になったら結婚して……が普通の考え方だと思っていました。」
Q.外からはきらびやかに見える、ファッションの世界から“ものづくりへの憧れ”で街のお菓子屋「パティスッチェリア」へ行かれた理由について。加藤峰子シェフの心を動かす、何か出来事やきっかけがあったのでしょうか?
加藤シェフ「『VOGUE ITALIA』では、私が描いていた大人の仕事の在り方とまったく違う世界でした。編集部は少数精鋭で、会社も素晴らしい会社でしたがこの仕事を10年、20年後続けている自分の姿が、このまま変わらない将来を容易に想像できてしまったんです。
とある日に、仕事場へ行くバスに乗る人たちを見たとき、“みんな輝いているな”と思いながら、自分の働き方を考えたら涙があふれてきてしまって。その時に、自分の可能性を試してみようかな、とふと思いました。
イタリアの家って結構大きくて、私の住んでいるところのキッチンも大きかったし調理器具もなんでもそろっていたので、ストレス発散のためにお菓子を作っていました。
私が一番行きたいなと思ったお店『パティスッチェリア』に持っていって“私は初心者ですけれど、このお店で働きたい。いいですか?”と直談判しに行ったんです。履歴書とかもなく、お菓子だけを作って持っていきました。焼き菓子とかではなく、ちょっと変わったお菓子で『モノポーションのケーキ』を6種類ぐらい持っていきました。
“これ家でできるってすごいね”、“意欲は認める”と当時のシェフに言っていただき、急転直下“明日から来てくれる?”と言われて、仕事を辞めてこの世界に飛び込むことになりました。
もともとこのお店で働く予定だったショコラティエの方がシェフと喧嘩していなくなってしまったこともあり、現場の人手が足りなかったという事情が背景にはありました。」
Q. 「パティスッチェリア」で初めて経験する、ものづくりの世界とお菓子づくりの厳しい環境と世界は、シェフにとってどんなものだったのでしょうか?
加藤シェフ「楽しかったですね。ショコラティエの人がいなくなったということもあり、最初から結構高度な技術を任せられて。例えばテンパリングをお店に入って3日目からやらされましたね。“ガリバルディーニ”という、オレンジにチョコレートをつけたお菓子をひたすら作り続けていました。早く学び得て手となる人が欲しいシェフと、学びたい私との歯車もうまく噛み合った瞬間でした。
すごくいい師弟関係というか、人間性にあふれたシェフに恵まれたこともあり、もちろん厳しいところはたくさんありましたが、親が子供にするような厳しさといいますか、人間的には“嘘のない厳しさ”だったからすごく理解ができたんです。」
「私がどうしてそこの店をやめたかというと、やめた理由をシェフも知っていて、製菓の製造技術に疑問を持ったことが大きな理由です。お菓子が保存ベースで、ほとんどが冷蔵組み立てで作られていることが私はまったく理解できなかったというか、自分には合っていないと感じました。
一日一日、もっと素材と向き合った仕事をしたいと感じたんです。それをシェフに話した時に『やっぱりそうだと思っていたよ、たぶんあなたは料理という世界で、自分が思うものを作るほうが合っているんじゃないか』と言われて、驚きました。それに人手がない中で普通は“残ってくれ”というところを、次の職場が決まった時にシェフ自身は喜んでくれたんです。」
Q.その後レストランの道へ進まれる時に、名店「オステリア・フランチェスカーナ」ではポスターほどのサイズがある特大の自作履歴書を、同じく特大の封筒に入れた話が有名だと思いますが、レストランシェフ時代は加藤シェフにとってどんな時間でしたでしょうか?
加藤シェフ「楽しいと思う反面、すごく厳しい世界でした。日本では女性シェフは多数いらっしゃると思いますが、イタリアではほとんど見ないです。環境が厳しいというのもあるけれど、“女性が泣いていると、仕事にならない”そんな世界だったので、冷凍庫の前で何度泣いたことか。冷凍庫だと、目が腫れないんですよ(笑)。」
Q.そんな中でも、辞めることがなかったのはどうしてでしょうか?
加藤シェフ「それが当たり前だと思ったからです。みんなそう。190cmを超えるようながっしりとした男の子だって、泣いていましたよ。
それと、たぶん私は料理もお菓子もそれを超えるぐらい、好きだったんでしょうね。苦に思うことはあんまりなかったですし、それに
私かなりポジティブなんですよ。失敗があっても、次の成功につながると思う。
マインドセットの問題ですね。結局自分の中で、“仕事がうまくいく”というマインドセットがあれば、少しの失敗でも止まらずに進み続けることができると思うんです。」
Q.ここまで、加藤峰子シェフの歩みについて色々とお話をお聞かせいただきありがとうございました。続いては、一つのお皿に加藤シェフが表現するイマジネーションについてお伺いしたいと思っています。インスピレーションの源はどんなところからわくのでしょうか?
加藤シェフ「レストラン時代では、デザートのアイデアやイメージは自然だったり、食材だったり、アートだったり読んだ本だったり、様々なところから来ています。昨日も美術のギャラリーを休み時間に足を運んで見たりしました。“インプットしないとアウトプットできない”と思っています。
それは“自分の中で豊かさがないと豊かなものをつくれない”と思うから。自分の中で自分の世界にこもっても、人に伝えられるものができるとは思えないんです。」
Q.そんな中でも、どんな体験が想像力や食体験につながっているのでしょうか?
加藤シェフ「一番好きな旅行ですね。今は行けないのが残念ですが、私の強みとしては、世界の色々な食材を知っているということ。人間の脳ってコンピューターのようにできているので、味の記憶や香りの記憶というものが、どんどん蓄積されていって、その蓄積されたものが自分の引き出しになるんです。その食体験が多ければ多いほど、分析力がより深くなっていくと思っています。」
Q.加藤峰子シェフが、「美味しい」を超えたメッセージ性のあるデザートを作る、その理由を教えてください。
加藤シェフ「“食”という体験は、毎日私たちが食べ物を身体の中に入れること。だからこそ、一番自分ごとになりえるテーマ性のあることだと思います。“食べる”という行為から、人それぞれの“気づき”になることが重要で、その気づきが次の“進化”へとつながります。
今の世の中には美味しいものってたくさんあると思います。そんな中で、私は自分が作っている時もそうですし、この社会で市場にあるもの、日常で接しているものに疑問を常に持っています。
例えば、形が同じ大きさで、同じ色でそろえられた苺って、本当の意味での美しさなのか? それが“一体何を犠牲にしているのか”。美しいものって、それで本当に美しいのか?
食材って“モノ”ではなく、その食材の背景には裏にいったい何があるのかとか、そういったことを追求していくと、人に伝えたくなります。伝えたことで“よりよい世界ができる”と思うんです。
現代人は、味覚を知らないと言われています。それはなぜか、食材を本当に知らないからです。3年前に、日本へ帰国した時に感じたのは日本で販売されている野菜はその味やコクがなく、何か薬っぽい味。これって何かな?と調べたのがきっかけです。日本の現状について、色々調べました。
日本っていいものを作っていると思われがちだけど、結局は消費社会です。日本は素晴らしい文化を持ちながらも、産業がこういう方向性に向いてしまっているので難しいなと思っています。」
「そんな現状の中でも、素晴らしい養蜂場だったり、生産者さんたちがたくさんいます。そういった方々と一緒にいいものを残せていけたら。それはパートナーシップではないけれど、それに近い部分を感じています。
日本の洋菓子は、これから先は別の進化の方法があると思っています。今まではイタリアやフランスなど、ヨーロッパの味を再現するのが重要と考えることもあったかと思います。たとえば“小麦粉をヨーロッパのこの地方の小麦を使わないと再現できない”とか。それもあっていいことだと思いますが、それよりも日本の小麦を使って自給率をあげるような、そんなお菓子が生まれてもいいのではないかと思っています。
これから先、農業の未来が危ぶまれる中で生産者の後継者もいない、そして彼らを助ける政策もない中で、自給率をあげて農家を救えるような、そんなパティシエたちの努力があれば日本の未来はより良くなるのではないでしょうか? 西洋にはない、日本の独自のお菓子を作ってもいいと思っています。今まで蓄えた知識や技術を使って、まったく別のものを生み出すことができるんじゃないか、自然と共存できる方法で、30年後もお菓子を作れるいい社会を残したい。
気候変動も劇的に起きていますし、気温が上がると今ある生産物の80%以上は採れなくなる可能性もあります。食料の価格自体が高騰していて10年後でさえ、大きく変わっていくのではないでしょうか。
私自身、この考え方は尖ったものだと思っていますがそれを伝えていくことも大切ですし、そこをクリエイティブにもっていけるパティシエが凄いなと思っています。そういう人が増えて欲しいという気持ちです。パティシエのクリエイティブなところを使って、そういう動きを生み出せていけたら。
“今までこうであったから、ずっとこうであらなければならない”という概念は、今後変えていかなければいけないと思っています。」
Q.この連載はシェフによる、シェフへのリレー形式の連載です。加藤峰子シェフが感銘を受けた方はもちろん、新しい世代の期待しているシェフや注目しているシェフを教えて下さい。
加藤シェフ「沖縄でお菓子を作っている西尾萌美さんです。もともとはパリにいらして、今は沖縄に帰ってきて、素材と向き合っている方。柴田書店の書籍で、彼女とは知り合いました。
彼女は、不慮の事故もあり人生で大きな挫折を経験していて、その大きな壁をどう乗り越えているのか、挫折と向き合ったあとで、自分とどう向き合ったか、人間的な部分で素晴らしさがある方で、多くの若いパティシエたちの人生にいい1ページになるお話が聞けると思っています。」
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FARO
東京都中央区銀座8丁目8−3
営業時間:ランチ 12:00~15:30(L.O. 13:30)
ディナー 18:00~23:00(L.O. 20:00)
※営業時間は変更になる場合がございます。公式ウェブサイトにてご確認ください。
定休日:日、月曜日 夏季(8月中旬)年末年始
クリーム太朗
ウフ。編集長
編集責任者。ショートケーキ研究家として、日本全国のケーキを食べ比べる。自身でも、ケーキやチョコレートの製造・販売を目指すべく、知識だけではなく実技も鍛錬中
Photo/Oki Shintaro(大木慎太郎) Writing/Cream Taro
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