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一つのお皿の上にデザートという花を描くまで。一流シェフ、江藤英樹の“流儀と原点”

一つのお皿の上にデザートという花を描くまで。一流シェフ、江藤英樹の“流儀と原点”

一つのお皿の上にデザートという花を描くまで。一流シェフ、江藤英樹の“流儀と原点”

完売続出のサブレ、美しすぎるデザートコースは洋菓子界でも話題になり、若きシェフと企業と社会をつなげる「Social Kitchen TORANOMON」ではメンバーとして活躍し、その多才さに注目の集まる江藤英樹シェフ。今年シェフ初のブランド「PAYSAGE」(ペイサージュ)を立ち上げ、勢いに乗る江藤シェフの“お菓子”に対する情熱と、そしてそのイマジネーションの原点を探ります。フランス・ラナプール「L’OASIS」、カンヌ「Villa des Lys」にて修行し、日本へ帰国後は「BEIGE Alain Ducasse TOKYO」、そしてその後はあの「SUGALABO」や「THIERRY MARX」など数々の 名店でシェフパティシエを歴任してきたその栄光の歩みとは?

天才の物語の始まりは「バイオリニスト」の道

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Q.江藤さんは、もともとお菓子作りが好きだったのでしょうか?

江藤シェフ「実は……バイオリニストになりたかったんです(笑)。学生時代は、音大を目指していました。音大って、バイオリンだけではなくピアノを弾けなきゃいけなかったり、すごくハードルが高くて。その後は音大の道をやめたのですが、やはりバイオリンが好きだったので、バイオリンを作ろうと思ってその道を探りました。色々調べて、専門の学校へ通おうかとも思ったんですが、売れるかもわからない狭い世界だったので、これでは生活できるか不安になったのを覚えています。

Q.そこからお菓子の世界へ行ったのはなぜでしょうか?

江藤シェフ「もともと人を喜ばせるのが好きで、両親がよくお祝いでケーキをくれて。その喜びが記憶に残っていたことと、その当時は頭の中がモノづくりでいっぱいだったので、“じゃあケーキを作ろうかな”となりました。サプライズも好きだし、お菓子じゃなくてもよかったんですけどね(笑)。音楽でもよかったし、絵描きでもよかった。でも、小さいころにヨーロッパに住んでいたので、お菓子が身近だったことが、理由の一つかもしれません。」

「厳しい修行時代も、基本楽しかった」

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Q.まったく違う世界からの修行はかなり大変ではなかったでしょうか?

江藤シェフ「修業時代は、もちろん大変でしたよ。ホテルで5年ぐらい働いて、毎日行きは始発、帰りは終電の繰り返し。でもこれをあんまり苦だと思ったことがないんですよ。ずっと基本楽しかったんです。辛くても楽しい、やっぱり好きなことを仕事にできるのはいいなと思っていました。

モナコで出会った巨匠「アラン・デュカス」で変わる人生

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Q.渡仏し帰国後は、日本でも指折りの名店「ベージュ アラン・デュカス 東京」へ行かれたと思いますが、その経緯をぜひ教えてください。

江藤シェフ「フランスの専門学校へ行って、その時にモナコ公国・モンテカルロにある『ル・ルイ・キャーンズ アラン・デュカス・ア・オテル・ド・パリ』でデザートを食べたんです。出来立てで出てくるその美味しさ。アイスクリームの温度から固さまで、すべてに魅了されてしまい、その時の感動が忘れられませんでした。デザートっていいなと思い、僕もデザートを作りたいとその時に強く思いました。

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そして日本に帰ってきて、すっかりアラン・デュカスの世界の魅力に取りつかれ、絶対に『アラン・デュカス』で働きたいと思うように。とはいっても、働きたいところで働けるほど甘くはなくて、最初は断られました。どうしようかなと思っていたときに、シェフから『会ってみたい』と電話があり、まさかのそこから働くことになったのです。最初は雑用から、その時はまだ二十歳でした。当時の女性シェフ、クレールさんから受けた影響は凄く大きくて、一つのお皿にかける情熱とその端整なデザートは僕の中ですごく大事な部分となっています。」

あの名店「スガラボ」で働く思いがけないきっかけ

一つのお皿の上にデザートという花を描くまで。一流シェフ、江藤英樹の“流儀と原点”

Q.今も多くの人が名前を挙げる名店「スガラボ」で働くきっかけや須賀さんとの出会いを教えてください。

江藤シェフ「これも驚きのきっかけがあったんですよ。実は面識がまったくなかったのに、誕生日の時にお祝いのメッセージが須賀さんから直接来て。“ありがとうございます! ぜひいつか一緒に働けるようにがんばります!”といったら一緒にやろう、となった(笑)。驚きですよね。」

Q.え、そうだったんですか? そこでどんなことを学ばれたのでしょうか?

「須賀さんからは“俺と働くのは大変だぞ”と言われたけれど、僕の年齢は当時29歳。ちょうど挑戦したいなと思う年齢でした。スガラボの時は、めちゃくちゃハードな働き方が待っていましたが、今までとはまったく違うもの。出張がすごく多く、毎月日本のどこかしらへ行っていました。生産者のところへ行ったり、外でのイベントをやったり、豪華客船でのディナー、お寺でのディナーなど、働き方がもうクリエイティブだった。」

1回来た人には同じものは出さない、フレキシブルさを求められた

「その時その時の判断力、柔軟性をすごく学びましたね。その後、『Social Kitchen TORANOMON』のメンバーのきっかけとなったのは『unis』のシェフの薬師神さん。仲が良かったこともあり話がトントン拍子で進みました。」

「おじいちゃんになっても、お菓子作りをしたい」

一つのお皿の上にデザートという花を描くまで。一流シェフ、江藤英樹の“流儀と原点”

Q.江藤さんの最終目的地は、どこを見ていますか?

江藤シェフ「最終目的地はないですね。もちろん、もっとクリエイティブで面白いこともたくさんやっていきたいと思っていますが、基本僕の中で“お客さまファースト”なんです。喜んでくれるお客さまに、ずっと作り続けたいのでおじいちゃんになってもお菓子作りをやりたいと思っているんですよ。歳をとったらバーやカフェでもいいしね。お菓子作りは、“終わりなき旅”みたいなものです。ずっと作って、喜ばせ続けたい。たくさんの人をお菓子を通じて幸せにしたい。それだけですね。」

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Social Kitchen TORANOMON
東京都港区虎ノ門1丁目23−3 ヒルズガーデンハウス 1F
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クリーム太郎

クリーム太朗

ウフ。編集長

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編集責任者。ショートケーキ研究家として、日本全国のケーキを食べ比べる。自身でも、ケーキやチョコレートの製造・販売を目指すべく、知識だけではなく実技も鍛錬中

Photo/Namba Writing/Cream Taro