ufu(ウフ)スイーツがないと始まらない。
“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

パンの魅力に取り憑かれた女子大生まつこが『一流パン職人が本気でおすすめするパン屋さん』をテーマに、インタビューを行いリレー形式で繋いでいく連載企画の第七弾。前回インタビューしたトモニパンの店主浅井さんおすすめのお店は、新潟のぱんや徳之助。今回はぱんや徳之助のシェフ渋谷さんにインタビューを行い、家業の経営再建やお店の立ち上げ当時のお話について伺いました。

新潟の老舗ベーカリー「冨士屋」の三代目が立ち上げた「ぱんや徳之助」

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07
“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

2018年新潟にオープンした「ぱんや徳之助」を立ち上げたのは、大正13年創業の老舗ベーカリー「冨士屋」の三代目である渋谷則俊さん。渋谷さんは、前回インタビューした浅井さんとともにドイツのibaカップに出場し優勝した実力派のパン職人です。

「ぱんや徳之助」のパンは、「冨士屋」のDNAを受け継ぎながらも、新しい技術やアイデアを積極的に取り入れています。例えば、季節商品の案は、新人もベテランも強制参加で、一人ひとりアイデアを出し合っているそう。従業員にとっても、一人ひとりのクリエイティブなスキルが鍛えられ、真剣にパンについて向き合うきっかけにもなっているのだとか。

逃げるために上京しメーカーに入社するもUターン

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

「冨士屋」の再建、「ぱんや徳之助」の立ち上げを担った渋谷さんですが、はじめからパンの道を選んでいたわけではありませんでした。

「はじめは、パン職人には正直なりたくないと思っていて(笑)。というのも、実家がパン屋だからその辛さを目の当たりにしていたんです。自分が夜遊んで家に帰る時間に仕事に出ていく父を見て、自分はこんな仕事はできないと思っていましたね。だから、実家から逃げるように上京して東京の学校へ進学。その後は、アウトドアメーカーに就職しました。」

「しかし、それも長くは続かず1年くらいで辞めてしまって。自分がやりたくてやっていた仕事ではなかったので続かなかったんですよね。仕事を辞めてお金が無くなり、新潟の実家に帰って家業のアルバイトを始めました。その後さまざまな研修を経て、正式に冨士屋の社員になりパン職人になる決意を固めました。」

次々と閉店し追い込まれる「冨士屋」、苦境を脱するための改革

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

渋谷さんが正社員となりしばらく経ったころ、冨士屋は苦境に追い込まれます。当時、食品スーパーの競争激化とともに、スーパー店舗併設のベーカリーが主流に。それまでスーパーに併設した店舗として展開していた冨士屋は、何店舗も閉店を余儀なくされ経営が悪化。古い経営体制で廃れていった冨士屋を再建すべく、渋谷さんが改革を始めます。

「立て直すためには、まずは勉強しないといけない。そう考えて修行に行ったのが、飛ぶようにパンが売れる埼玉のベーカリー『デイジイ』でした。不良債権を抱え、従業員の給料未払いが続く最悪の状況に追い込まれていた自分を受け入れてくれた、デイジイの倉田社長にはとても感謝しています。1日100万円以上売上のある店舗で修行をして学んだノウハウをもとに、冨士屋の体制を一新。苦難と闘いながらも、段々と経営も回復していきました。」

「その後、お店の知名度アップのためにドイツのibaカップに出場。そこで優勝することができたのは、相方の『トモニパン』の浅井シェフがいたからです。年の差の垣根もなしで言いたいことは全部言おうと決め、準備期間は毎日連絡をとっていました。彼とは今でも仲が良く、相性ぴったりのコンビだと思っています。」

「ぱんや徳之助」立ち上げの苦悩、限界の労働環境だった過去

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

赤字から回復した冨士屋は、郊外の店舗新設が決定。新たな挑戦に挑もうと決めた渋谷さんが、新ブランドとして立ち上げたのが「ぱんや徳之助」でした。順調にみえる新たなスタートですが、さらなる困難が待ち構えていたんだとか。

「オープン当初、正社員8人のはずが5人しか集まらなかったんですよね。しかも新人がすぐ辞めてしまったので、結果4人になってしまって。ただでさえオープン直後で忙しいのに人手不足だからみんな夜中まで仕事をしていました。朝の2時、3時くらいに出勤して夜の11時まで働くことも。今考えれば、明らかにキャパオーバーでした。」

”作れる分だけ作る”みんなに負担のない働き方への改革

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

「しかし、ある時スタッフの一人が怪我をしてしまって。それをきっかけに、パンは“作れる分だけ作ろう”という考え方にシフトしました。70種類以上のパンは作らないようにしたり、作れるだけ作って売切れたらクローズにしたり、外注できるところは外注したり。そのおかげで、今はだいぶ労働環境が改善されて出勤時間が朝6時〜夕方4時半くらいにはできています。今後も、もう少し勤務時間を短くできたらと考えています。」

「みんな真面目な職人なので、無理して作ろうとしたらやってしまうんです。でもそれではだめで。アホみたいな時間に出てきてアホみたいな時間に帰るのは、無理なんですよ。いつか心も身体も壊してしまう。だから従業員みんなのキャパシティの範囲内で、負担なくパン作りができる環境整備をしていきたいと思っています。」

海外への挑戦、味噌ラスクを世界へ

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

「今後やってみたいことといえば、徳之助で販売中の『味噌ラスク』を、海外でも売りたいと2年くらい前から思っていて。パンを海外に持っていくとなると、賞味期限とか技術的にも厳しいですが、ラスクならいけるなと。なかなか苦戦していますが、味噌ラスクを海外の人が食べたときの反応が見たくて、めげずに奮闘しています。」

人生最大の苦境を救った恩人のお店の、爆売れパン

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

「『一流パン職人が本気でおすすめするパン屋さん』としておすすめしたいのは、埼玉県のデイジイさんです。人生で一番の苦境の時期、大変お世話になったお店です。中でも初めて訪れたときから印象的だったのが『クロワッサンB.C.』。みんな奪い合うように買っていたんです。自分も食べたときに「なんだこれ」と衝撃を受けたパンです。」

“パン屋店主おすすめのパン”「ぱんや徳之助」(新潟市)老舗ベーカリーの経営難を救った、世界王者が愛したパンとは?~新米ライターまつこが取材~vol.07

アーモンドケーキをクロワッサン生地で包んだパン、その名も「クロワッサンB.C.」。デイジイで人気No.1を誇るパンです。B.C.のBはバター、Cはクロワッサン、クッキー、ケーキを意味しているのだそう。

ふんわりさっくりとしたクロワッサン生地の中には、しっとりじゅんわり食感のアーモンドケーキ。まろやかなバターのコクとアーモンドの香ばしさが後を引く美味しさです。

次回は、デイジイの倉田シェフにインタビュー

次回は、ぱんや徳之助の渋谷さんにおすすめしていただいた、デイジイのシェフ倉田さんに「パン職人が本当におすすめしたいパン屋さん」をお聞きしてきます。

渋谷さんの苦境の時期を救った倉田さんから、お話を聞くのがとても楽しみです。次回もぜひお楽しみに!

About Shop
ぱんや 徳之助
新潟県新潟市西区新通南2丁目118−8
営業時間:10:00~18:00
定休日:火曜、水曜

まつこさん

まつこ

新米ライター・パン好き爆食女子大生

メンバーの記事一覧

女子大生ながら、企業で取材記事を執筆するなど新米ライターとして活躍&日々勉強中。かなりの大食いで爆食女子と呼ばれ、たくさんのパンを食べるので本当に美味しいお店に精通。お店の前でパンを撮影する#まつこ撮りでパンインフルエンサーの間で話題にも